※この文章は、該当する方々に向けて書いています。無関係な方々はスルーでお願いします。
「エコーに影がある」そう言われてから
必ず妻に付き添い、産婦人科を訪れることにしました。
通院は2週間毎なので、行くたびに胎児は成長しているようでした。
医師も少しずつではあるが、ぽつりぽつりと説明してくれるのですが
素人には、エコー画像を見せられても、何がなんだかよく分かりません。
普通とどう違うのか?執拗に聞くと、医師は言いにくそうに
胎盤部分に「穴」みたいな「泡状」のものが写っていると言われました。
家に帰ってから、心配な妻がネットで色々調べてみると
俗に「ぶどう子」
と言われる病気がそれに近い事がわかりました。
その後の診察の際に、医師の口から
「胞状奇胎」という病名を初めて聞いた
ここで、他のサイトから引用させて頂き御覧下さい
ほうじょうきたい【胞状奇胎 Hydatidiform Mole】
◎胎盤(たいばん)を構成する絨毛(じゅうもう)の異常増殖
[どんな病気か]
胎盤を形成する絨毛細胞の異常によっておこる病気を総称して、絨毛性疾患といい、胞状奇胎(奇胎)、絨毛がん(「絨毛がん」)、存続絨毛症(そんぞくじゅうもうしょう)(コラム「存続絨毛症」)の3つが含まれますが、ここでは、胞状奇胎を中心に解説します。
胞状奇胎は、胎盤を構成する絨毛が2mm以上にふくらみ(水腫状(すいしゅじょう)変化)、白いぶどうの房(ふさ)のようになる病気です。
絨毛の全部が奇胎化(水腫状変化)したものを全胞状奇胎(ぜんほうじょうきたい)(全奇胎(ぜんきたい))、部分的に奇胎化したものを部分胞状奇胎(ぶぶんほうじょうきたい)(部分奇胎(ぶぶんきたい))、奇胎化した絨毛が子宮筋肉層の中に侵入したものを侵入胞状奇胎(しんにゅうほうじょうきたい)(侵入奇胎(しんにゅうきたい))といいます。
全奇胎では、子宮内に胎児は存在しませんが、部分奇胎では、胎児が異常なく育つことがあります。
侵入奇胎の一部を除き、奇胎自体は悪い病気ではありませんが、絨毛がんが発生しやすいので(部分奇胎を除く)、奇胎治療後、厳重な管理が必要です。奇胎治療後に侵入奇胎が発生する率は8~10%です。
胞状奇胎はアジア地域に多い病気で(欧米の3~4倍)、日本でも分娩(ぶんべん)350~500回に対して1回の割合で発生し、発生数は以前とほとんど変わっていません。また、侵入奇胎の頻度も変わっていません。奇胎妊娠をくり返す率は1~2%です。
[症状]
胞状奇胎は受精卵の異常であるため、まず妊娠していることが前提となります。
70%の症例でhCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)の値が、正常妊娠よりも高くなります。
特徴的な症状としては、妊娠初期の子宮出血、妊娠週数に比べて子宮が大きい、強いつわりなどがあります。
また、侵入奇胎の約20%は、肺などへの転移をおこすことがあり、その部位での特有な症状から、産婦人科以外の科で気づかれることもあります。
[原因]
全奇胎の原因は、受精卵の異常(雄核発生(ゆうかくはっせい))です。異常卵子ができる可能性の大きい40歳以上の高齢妊娠、あるいは20歳以下の若年妊娠では、妊娠数に対する発生率が高くなります。
[検査と診断]
前記の症状が現われる前でも、妊娠初期の超音波検査で、絨毛の水腫状態がみられれば診断できます。
最近は、妊娠8~9週になっても胎児が見えない場合には、流産として処置されるので、奇胎の診断時期も早くなっています。
侵入奇胎は、先行妊娠(直前の妊娠をいい、多くは奇胎)の終わった後で、hCGが長期にわたって検出されるときに、「絨毛がん診断スコア」で診断されます。
[治療]
子宮内容掻爬術(しきゅうないようそうはじゅつ)(子宮の内容物を除去する手術)を、約1週間ほどの間隔で2回行ないます。高齢者の場合は、子宮を摘出することもあります。
奇胎を排出した後は、絨毛がんが発生していないか、厳重に管理する必要があります。侵入奇胎の場合は、手術療法と抗がん剤による化学療法が基本になります。
●予防と管理
胞状奇胎の発生は予防できません。しかし、絨毛がんあるいは侵入奇胎の発生は、定期的な観察・管理によって早期に発見することができます。そのためにも、奇胎治療後の管理がたいせつです。侵入奇胎の約90%は、全奇胎および部分奇胎に続いて発生しています。
奇胎治療後の妊娠は、hCGが検出されなくなり、基礎体温が二相性を回復し、正常な月経周期を2、3回確認できれば、新たに妊娠してもさしつかえありません。
しかし、奇胎治療後10年以上たってから絨毛がんが発生することもあるので、定期検診は必ず受ける必要があります。
この他にも色々な情報がありますが、概要はこんな感じです。
これを読んで不安にならない妊婦はいません。
その後、妻は精神的に不安定になっていきます。
まだ病名を口にするには時期が早いと思ったのでしょう
医師がやっと重い口を開いたようにも感じました。
しかし、日に日に妻が精神的に追い込まれているのがわかるので、次の診察の時に医師に詰め寄りました。
「いつになったらハッキリとした病名が解るのですか!」
医師は、のらりくらりと質問をはぐらかします
「ここで解らないのなら、他に行くまでだ!」
そう声を荒らげた。
そうして、ようやく大学病院に紹介状を書いてくれました。
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